2018/04/18

唯一の人力車夫~もしかして最後の

香港の最古の交通手段と言っても過言ではありません、
植民地になったばかり頃、
セダンチェアの唯一の競争相手でもあります。
実は当時現れた人力車は日本から導入されるものとのこと、
かなり長い時期に一般市民の交通手段として各地に溢れました。
しかし、
1960年代から交通機関のバスが普及し始めてから、
人力車の運命が大きく変わった。
まず、植民地政府が人力車の営業ランセンスの発行が慎重になり、
1968年が正式発行停止となった。
あの頃は取り残されてた人力車はわずか300台前後でした。


まさに、今回ご紹介した香港唯一人力車のランセンス所持者、
1968年というギリギリのタイミングでこの業界に飛び込んだ~『洪さん』、
68歳の高齢で全財産の13台人力車を抱え込んでしぶとく経営しています。
もちろん昔のように乗りたがってるお客さんが大勢わけではないため、
毎日人力車の前の待機することはありません。
乗りたい人が自ら電話や通信アプリで連絡して予約しない限り、
洪さんの姿が見れません。


また、『洪さん』の都合の日、時間帯でしか対応してくれません。
本人曰く、今ほぼ趣味として継続してる、
そして、香港にも人力車があると皆さんに知ってもらう一心でやっています。
やはり年は年で、
移動は思わず行かないこともあるだろうか、
指定時間帯の通りに来られなかったものの、
電話中でしっかり覚えてもらって、
あとどのぐらい着くまで丁寧に教えてもらいました。
サービス業の大先輩である『洪さん』がお客さんの心理を知り尽くしています。


スターフェリーターミナルがスタート点で、
セントラル第四フェリターミナルを折り返し、
スタート点に戻るという簡単なコースですが、
68歳の『洪さん』にとっては容易ではないはず、
会ったばっかり時にとってもおしゃべり好きな感じでしたが、
いざ一生懸命引いてる時に黙々となり、
最初はで小走りだったが、次第に歩くという如何に大変か伝わって来た。


昔からセントラルの海沿いは『洪さん』の営業本拠地ですが、
一時期ビクトリアピークでも人力車を引いたことあります。
結局今のスターフェリーターミナルの所に定着しました。


コース途中に外国人の観光客のみならず、
一部の香港人の若い人たちがこの引いてる人力車を見ると、
何か新しいものを発見したように騒立った。
数十年前にまだポストカードや写真で香港のシンボルとして登場してたのに、
もうまったく認知度はありません。
あの瞬間に『洪さん』の気持ちと分かち合えました。


返還前にまだ観光客だけでやっていけた収入が得れたものの、
この重要な香港トレードマークがいつの間にか放置された。
取材当日、ちょうど引いてもらった時に、
人力車観光バスが『洪さん』の背景になった、
なんか風刺的は絵にもなった。


今回わずかな距離のコースですが、
前後20分程度で、
料金は200HKドルでした。
話によると、返還前とそれほど変わりませんでした。
距離がもうちょっと長く、
コース路線の選択もあったとかもしれません。
それにしても自力で稼いだお金ですから、
『洪さん』にとって、深い意味ある収入のようです。


唯一の人力車営業ランセンス所持者とは言え、
『洪さん』は孤独ではありません、
取材当日は親戚な方がほかの管理されてる人力車をメンテナンスしてた。
将来に引き継がれるかどうか未明、
法律上は可能かどうも明言していませんでした。
とにかく、興味ある方一刻でも早く体験してみてください。


上記最初の一枚の写真でも『洪さん』の連絡先も映されています、
広東語しか対応できないですが、
現場のある表示をよく見てみると、
英語通訳のポランティアの方の連絡先でも書かれています。
広東語を話せない方はこちらの方にお願いをしてもいいはず。
どうしても日本語なら、
一度私に連絡をしてください。
時間を許す限りに手伝います。


現在『洪さん』は人力車を引くだけで生活できるわけではありません、
自ら人力車を作り出したり、
外国人にも販売しています。
かつてイギリスと日本のお客さんからの購入実績があるようです。
ほとんど手作りで、
販売価格は約2万HKドル。
ボランティアの方が公式Facebookページまでつくってあげた、
香港人力車の詳細について、
こちらのサイトでもどうぞ⇓
皆さん、香港にも人力車があることを忘れないでください。
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2018/04/03

盆菜宴会から垣間見る新界の一面

香港人すら、なかなか本格的な盆菜宴会が参加できないのに、
運がよくて、知り合いの誘いがあって参加できた。
盆菜と言えば、
新界の原住民から先代から引き継がれた伝統料理の一つです。
その由来は様々の説がありますが、
13世紀南宋末期に、
『元』の軍隊に追われた朝廷の君臣らが香港まで南下した際、
新界に通りかかった時に、
村人たちに熱く迎え入れられた。
しかし、持ってる高級食材や珍味をもてなすための入れ物が足りず、
切羽詰った村人たちが大きな木製の桶で盛り合わせて差し出した、
のちに盆菜までに進化されるという話が最も有力です。


盆菜宴会が昼でも夜でも開催されることも、
開催側になると思いますが、
今回の参加させて頂いた宴会は夕方からです。
午後5時半に新界にある囲村までに案内されたときに、
既に数えきれないほどひとたちが集まられています。
やはり囲村の住民とその親戚をはじめ、
親交のある仲良しの友人などしかこの宴会を誘わないみたいです。
それ以外、
宴会に欠かせない余興を担当するプロたちです。
囲村とは言え、
かなり本格的な機械、スピーカー、ステージまで一通り整って、
アマチュア歌手までをお願いして宴会を盛り上げってます。


盆菜宴会のスタートがバラバラなことは一般的だそうです。
とにかく、テーブルごとで定員数が集まれば、
すぐでも始まれます。
まったく知らない他人ではない、
きっとどんたの知り合い、親戚という内輪の人間だから、
相席なんで全然気にすることはありません。
当日は埋まってる席と誰もいない席しか見分けなかった。
宴会参加者が次から次へに円卓を埋めていくから、
我々のもすぐスタットを切りました。


盆菜について、
過去に【盆菜とは?】に軽く紹介しましたが、
もう少し細かく説明したら、
出来上がるまでに三日かかるという昔からの記載があります。
初日は山へ薪とり、十分な薪はないと、十分のご馳走が作れない、
二日目は新鮮な材料を揃えに買い出し、
三日目は丸一日をかけて料理するというあの時代だからの必要な工夫です。


伝統の盆菜の構成ですが、
上からそれぞれの食材で六層に重ねられます。
上の三層はガチョウ、鶏肉、エビや海の幸の干物など、
下の三層は大根、にんじん、豚皮がよく使われます。
煮汁のうまみが最上層から下の各層にしみ込み、
吸い込みやすい食材が置かれる最下層が全部を吸収し、
食べる順によって、
うまみが増していくという意図だと考えれます。


盆菜の下にあるコンロですが、
冷めないように一応火を付け続けています。
昔ではなかった現代的な発明の良さも取り入れました。
円卓の皆さんの写真時間が終わったら、
一斉に箸を差し、
好きな食べ物を拾ったり、
飲みながら、おしゃべったりし始めます。
特別なテーブルマナーが入りません。
ただし、途中アマチュア歌手の歌声や爆竹の音など、
思い寄らない音が飛び交っている、
のんぴり会話することはなかなかできません。


ちなみに、
盆菜は元々野菜がほとんど入ってない料理で、
由来からの分析ですが、
新界にどこでもありそうな野菜を朝廷の君臣に食べさせるなんで、
あまり価値のない料理を食べさせると同様の発想で、
あえて入れてなかったという説があります。


ただし、現代人の野菜不足を解消するには、
勝手に野菜を追加したりする習慣も珍しくないようです。
会場にも自らこの辺の野菜を取って洗って、
皆さんに配り、
即席に煮って食べる人もたくさんいます。
僕も含めでした。


なかなか具がありすぎて、
食べ切れない盆菜ですが、
円卓の皆さんのペースが落ちて来ます。
その時に、目を疑う光景が目撃しました。
空に舞い上がる花火がノンストップで15分も続きました。
もちろんその規模がビクトリアハーバーで行う花火大会のと比べられない、
高い建物のない広い新界の囲村の空に余計キレイに映った。


あの瞬間、金融都市の香港にいる感じがしなくなった、
かつての農村の時代にいると彷彿させられた。
爆竹、花火をするなんで、
厳密に言うと法律に反するのに、
なんでここでできるか疑問が既にあります。
そこで『新界』だからできるというモヤモヤな答えで片づけながら、
究明しようがないまま現在に至っています。
植民地になって150年以上にもかかわらず、
かわらないものはかわらない、
特に『新界』、
かわらない理由が何か今回の盆菜宴会で少し感じ取れました。
また機会があれば、ぜひ、お話をしたいです。


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2018/03/25

新界の誕生

イギリス植民地になるの前に、
「新界」という場所本来は存在していませんでした。
1842年、南京条約で清から「香港島」がイギリスに割譲した後、
1860年、北京条約で「九龍半島」も割譲しました。
のちに「新界」になる上記以外の領域、
1898年の展拓香港界址専条によって、
イギリスに99年間の期限で租借された。
つまり、九龍半島を東西に横切る【界限街】以北、
深圳河以南とそのほか233個の島を含めた領域です。
1937年、界限街以北~ライオンロック以南という新興市街地ですが、
イギリス植民地政府から「新九龍」と称するようになりました。
下記の当時植民地政府から発行した地図もこの名称で記載されています。


「香港島」、「九龍半島」、「新九龍」以外の領域に関して、
「新しい領土」を意味する英語「New Territories」で総称されまた。
広東語を訳すると、
「新界」という皆さんも聞き慣れてる香港地域の名称です。
そして、
そもそも「新界」にいる原住民ですが、
中国を統一した秦王時代の生活逸話が歴史書籍に記載されてるそうです。


今でも「新界」のいろな「囲村」に歴史的な遺跡、
当時君主からの贈り物などの記念物もみつかるはずです。
たとえば、この「元朗橫洲」に立地する「二聖宮」というお寺に、
清の康熙帝時代(1718年)に鋳造した大きな鐘が展示されることによって、
この辺りの原住民の歴史を証明する有力の裏付けになります。


「新界」に行くと、
下記写真のような三階建て家屋が多く見られるでしょうか?
香港では「丁屋」と呼ばれます。
実は生みの親は植民地政府でした、
1972年、「新界」で大規模な開拓を決行したものの、
原住民の協力を得ないと成し遂げないと痛感した結果、
年末に「新界小型屋宇政策」を実施した、
1890年代に父方が原住民と認められた人々の18歳以上の男子の子供には、
決められた土地内に一棟三階建て、
各層は700平方ftを超えない「丁屋」の建築権利が与えられます。
一生に一度のみですが、申請すれば、許可を下りてくれるようです。


この「新界」の原住民ならの「特権」に巡って、
政府とデベロッパーの間で近年に争議が起きているほか、
「新界」の原住民の「特権」が社会問題にもなっています。
なぜなら、
「新界」の原住民がいるほか、
「九龍半島」、「香港島」にもそれなりに原住民がいるのに、
なぜ「特権」はないかという素朴な疑問を持ってる人もいます。


返還前の植民地による解釈ですが、
1842年、1860年に結んだ条約では、
「九龍半島」、「香港島」をイギリスに割譲する形で、
租借とは違い、
原住民が自分の土地を強制に徴用したことに対しても反抗できない、
場所が分散されることと数少ない人数によって、
反抗しようがなかったことも考えられます。
「新界」の原住民が如何にイギリス植民政府を反抗したか、
過去元朗の錦田吉慶圍」に関する記事でも多少把握できるはず。
まさにこの違いによって、
「新界」の「特権」が生まれて、
ゆくに「新界」のあらゆる風習が保たれたり、
香港の多様性が見られる理由になったかもしれません。

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2018/03/12

地元の食堂こそロカールの味~銀都冰室

香港島の南に位置する華富邨を紹介するシリーズの中、
華富冰室』の記事にもこの店の名前を出しました、
懸案のままになってるところで、
まさか再び華富邨を訪れるチャンスがやってきた。
仲間に感謝しなくちゃ!
50年歴史を持つ、
香港に最も古い公営団地のトップテン入りの『華富邨』に、
同等の古さを持つ茶餐廳はこちらです。


外壁が年月とともに色褪せて来るレトロ感が誘われてるので、
早速に入ることに。


当然ながら、
普段地元しか来ない茶餐廳にもかかわらず、
ランチの前にもこの人気ぶり、
さすがに地元の日常生活に深く根付いています。


黄色の壁と薄い青いタイルの組み合わせはたまりません。
しかも、内装ほとんどされていません、
無造作なところこそ本物の強さです。
いわくレトロカフェーのわざとらしさは叶えません。


床のこのタイルもそうです、
歳月をかけて洗練された感じもなかなか真似できません。


かつてはミルクティーが受賞されたことがあるので、
間違いなく安心で堪能できます。
メニューは豊富とは言えませんが、
地元なら、読まなくてもすぐ注文できるのに、
わたしのような一見さんはしばらく没頭しないと決めれないです。


事前調べの記憶には洋風ご飯類が人気とのこともあった、
ランチセットでちょうどあるので、
それで決めました。


つまりこれです。
洋蔥雞扒飯(チキンステーキ玉ねぎソースご飯)です。
玉ねぎとは言え、
どちらから言うと、トマトソースに近いと思います。
ローカル洋食の鉄板メニューの一つです。
絶品までほど遠いですが、
懐かしい味、小さい頃から食べ慣れた美味しさが舌鼓を打ちます。
これぞ香港の地元の味です。 


以前も話したように、
華富邨が取り残されてる時間はわずかで、
100%の地元の会話しか聞こえない空間、
この密着感もいつか消えていくとわかっていても、
やはり寂しいです。
もう一回来られることを願っています。

住所:香港仔華富村華光樓707-708號
営業時間:0530~1830(年中無休)
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2018/02/13

香港島以外の路面電車

全数の路面電車が二階建てで走り回ってるのが世界中は香港のみ、
誰もご存知されてる有名の話ですが、
トラム王のJOSEPHさんなら、わたし以上濃く語れて頂けます。
彼との対談の『トラム研究家の世界へようこそシリーズの4編を通して、
そのトラム愛を感じ取ってみてください。
本篇は香港島以外に走ってる路面電車をご紹介したいです。
実は前世紀に九龍半島でも対岸の路面電車が走る機会に巡られた、
しかも二回も!


香港電車公司が成立して、業務が落ち着いた1913年頃、
植民地政府に九龍半島に同様な路面電車を走らせる企画を持ち込んだ、
路線の案ですが、
下記『zolimacitymag.com』から引用した写真で一目瞭然だと思います。
チムサーチョイからサムソイポーに、
そして、カオルーンシティまでという範囲のものでしたが、
ちょうど第一次世界大戦が終戦したばっかり、
景気低迷のため、
資源がまちの復興に配分すべきだと思われ、
やむをえなく断念でした。


二回目のチャンスは1923年でした。
植民地政府が全面に九龍半島の開発することを決めた、
路面電車のネットワーク作りの提案が持ち込んだ後、
少しずつうまく行ったように見えたが、
最後の最後に失敗で終わった。
電車よりバスの方がフレキシブル、速度も速く、噪音が少ない原因で、
九龍半島での路面電車を走らせる夢が実れなかった。


現在、屯門と元朗を結ぶライトレールである『軽鉄』すが、
1988年開通し、もうはや30年です。
車内には運賃箱などは設置されず、
乗客は停留所などに設置されているリーダにオクトパスをタッチしてから
乗降するという香港にも珍しい方式か、
券売機で乗車区間相応のチケットを購入するがほとんどです


現在『軽鉄』の車両は122両があり、
既に4代目の車両が10年前から投入しました。
その中で、3代目の写真は日本の『日本川崎重工業』から製造されたものです。
合計29両があります。
まだまだ現役だそうです。
写真はないものの、
目印としては先頭がイエローのペイントが塗りつぶされてます。
もし出会ったら、ぜひ、応援してあげてください。


これから先、
香港島以外に二階建ての路面電車が走ることがあるかどういうと、
それは今政府からの「旧空港」から「観塘」の大型再開発計画の中、
利便性を図るために必要とされる交通システムが再び求められています。
既に先行にモノレールの提案がありますが、
下記の映像はまさにその発案の内容でした。
建築費用と実用性、環境問題も含めて検討しながら、
一般市民の意見も受け付けてる真っ最中です。


そして、
高いビルがあまり立てていない、新しい整備される道路も多い、
レールの舗装がしやすく、
なおかつコスト的にモノレールより安いではない声も聞こえています。
さて、今度こそ4度目の正直が果たせるでしょうか。
どっちみちこの交通システムの完成は2030年を目安にしています。
あの頃の香港はどうなっているだろう。

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2018/01/22

日差しで削れた建物たち

ぶらりしてる時に、
見上げると、
屋根付近から階段のような斜面になってる建物がたまに発見しませんか?
しかもなんとなく似たような角度で、
不思議と思いませんか?
実は過去の一つの法律によって、
こういうふうに建てなければなりませんでした。
それは1969年に『建築物条例』に「街影法」の追加することで、
香港に有数のビルが既定な形にさせられた。


まさに唐楼から現代化に進む象徴になる「法律」です。
それまでに4~7階が一般的でしたが、
次第に建物が15階建てが許されるようになりました。
さらに進化していくと、
20階に達するビルも現れました。
道の大半が増え続ける高い建物からの影で被られるではないか懸念され、
当時の植民地政府があらゆる専門家の意見を考慮した結果、
道の真ん中から屋根までの仰角は71.5度にすれば、
最大範囲の日差しが路上に当たるという計算で法律を制定しました。


空気の流通と日差しの確保が衛生面には欠かせない要素であり、
当時の道がまだそれほどキレイではなかったため、
極力に負担掛けないような建設が望ましかった。
「街影法」の導入を受けた建物が今は一目瞭然になっています。
間違いなく1969年から1987年までの間で建てられたものです。


しかし、理想の環境はあっという間に泡に、
90年代は建物が20階以上に建てなければならない時代に突入し、
30階、40階をはじめ、
今まで考えてなかった超高層ビルの建設ラッシュも展開され、
まさしく香港の高度経済成長期の真っ最中、
「街影法」はもう時代遅れの法律と見られ、
1987年より廃止されました。


その後、皆さんの公共空間の日差し、空気流通は誰も気にしなくなった。
カイタック空港の移転によって、
建物の高さ制限、形がやりたい放題の時代に、
いつのまにか壁のようなタワーマンション群が落成したり、
紅一点になる建築物も増えてきます。
とにかく、今はノーマークだから、
最大利益を追求する作りの仕上しかありません。
香港人にとって、
空気と日差しは貴重品になっています。


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2018/01/15

「生」と「死」の間の最高味~生記茶餐廳

以前ご紹介した紅磡にある「錦記大排檔」、「東門冰室」以外、
この周辺にまだ古き良きスタイルの老舗が健在されています。
今回訪れた生記茶餐廳】の名物『膏蟹粥』です。
雑炊やおじやでもない、
本物のお粥です。


しかしながら、
40年前、本来は地元に根差した屋台のような茶餐廳でしたが、
次第に店舗に移り変わり、
名前がそのままで営業し続けてきました。
香港の中にここしか味わえない「生」と「死」の間、
何とも言えない雰囲気が漂っています。
やはりあの世との距離が非常に近いため、
この縁起の店名を使用し続けると推測しています。


まったくこのエリアに関して、詳しくない方に補充説明しますが、
葬式会場を集結したり、
そして、死亡に関連するお店や職人さんに囲まれてる地域です。
はじめの方なら、引いてしまうかもしれませんが、
実際はごく普通の街だと思ってもらえば何も違和感がありません。
ちなみに、
香港の葬式のあれこれに関して、
過去のブログでもご紹介しました。
ぜひ、おさらいをしましょう!


お待たせいたしました。
肝心な名物~『膏蟹粥』がこちらです。
これはスタンダードの模様です。
4人でもギリギリ完食できるかできないという大盛りぶり、
お粥はもちろん、具材もたっぷり、
蟹の全てがお粥に染み込まれてる、
インスタ映え用だけではなく、
香りと温かみがこの時期には極大の存在感がある一品です。


炭水化物の第二弾~『蟶子籠仔蒸飯』(マテ貝のガーリック蒸しご飯)、
説明不要だろう、
日本人観光客でも愛される一品。
蒸籠のご飯パタンはまたいくつがあります。
その日の仕入具材によるすぐなくなることもあります。


こちらは『蠔仔水晶粉卷』(牡蠣の包み蒸し)、
なかなか他所なところには食べれない巧み技を感じる珍味です。


ビールに当てにおつまみ的な『蝦膠嚮鈴卷』(エビのすり身の揚げ春巻き)、
相性ぱっちりで瞬間なくなります。
実は写真はまだまだあるが、
トムヤムスープの蟹うどんとか、
わかりやすい写真が撮れてなかったので、
アップするのをやめました。
店舗内に写真付きのメニューとかありますので、
その場で見れば、
思わず注文してしまう数々の品があります。


取材当日のエピソードですが、
予約時間から大幅遅れったわたしに対して、
店員が非常に親切で、一つも文句を言わず、
終始ほほえみが見せてくれる対応が印象でした。
常連ではないのに、
こんな優しくしてくれたのもなかなか今どきでは考えられないです。
料理の味以外、
情味はどうしても外せない、
香港の外食に必ずチェックしておきたいポイントです。

いぐら美味しくても、
どちからどういうと人情味欠けてる店をリピーするパオリティーが低いです。
誠心誠意に一人ひとりのお客さんに接するお店に応援したくなります。
これもチェーン店、儲かる主義を優先する名店への抗議する行為として、
わたしが今でも続いています。

場所:紅磡老龍坑街13號地下
営業時間:月~日(1800~2300)★1800前は普通の茶餐廳として営業する

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