2015/11/13

ミニバス行先板の産み親との対談~その①

先週ミニバスの行先表示の話で、

「旺角先施」、「銅鑼灣大丸」などすでに存在しない場所でも、

行先板はなぜか変えないかという質問ですが、

今日回答したいと思います。

それは作り直すには運転手の自費をしないといけないからです。

その分を節約するために、あえて以前のものをそのまま使うわけです。


この話は行先板のレジェンドから教えて頂きました、

ついにこの間、取材成功しました。

たっぷり話を伺ったので、明日までお付き合ってください。


レジェンドの麥さんはミニバスの行先板の製作者です。

元々アクリル看板製作の職人さんで、

佐敦の炮台街に工場を構えています。

当時あの道は多くのミニバス路線の終点でもあるため、

常に滞留してるミニバスが多数あります。

1983年頃、ミニバスがエアコン付きの規格に変更することなり、

車内のあるゆるものも必要になってきます。

ある日、ある運転手が麥さんの店にやってきて、

行先の板を頼んだ、あれは世の中に行先板の第一号です。

ちなみに、昔では行先が全て紙の上で手書きものだった。 

行先を書く職人という李さんがいまして、

麥さんが自ら説得しに行って、一緒にやることになりました。


そこから一気にミニバス業界の中に麥さんの名が広まられて、

皆も麥さんに頼むようになった。

この行先板ですが、最初はインキで手書きしたもので、

あまりにも受注量が多くなり、対応し切れなくて、

その後シルク印刷になった。

しかし、色が落としやすいため、だったの3ヶ月でやめた。

90年代に入って、彫刻に切り替えた。

1995年、李さんが高齢退職になり、

行先板の製作も中国に移管することになった。現在まで至ります。


この行先板に関して、結構隠されてる秘密があって、

いくつをご紹介します。

①長方形のサイズの指定があり
 多少サイズオーバーでも許されるから、あまり徹底してないみたい。

②行先の色は絶対赤、経由場所、英語は絶対青
 今まで気にしなかったので、今度ちゃんと見ますね。

③実は100ドルの表示もありますが、この数年は受注したことない。
 ぽったぐりに近い価格で、取締りが厳しくなるため、運転手も使いつらい。


麥さんもうすぐ退職する適切な年齢になるところですが、

聞いたところで、

体力の許す限りやり続きたいと言っています。

でも、赤いミニバスしか使わない行先板ですが、

必要性はあと10年ぐらいではないかと考えてるみたい、

なぜなら、きっと緑ミニバスに置換されると予想してるからですね。


では、麥さんはこれからどうする?

実は麥さんはこれだけ製作してるではなく、

我々絶対みたことあるもの、

もしく今まで存在自体すら気づいてなかったもの、

すべて麥さんから発案して作り出したよ、

見せたら、間違いなく「なるほど!」と納得してくれた。

それ以外、行先板の産み親として、

香港の唯一製作者として、

過去の歴史と作品などを紹介することができるように、

展示館あるいは博物館らしいものを作りたいと考えてる、

現在は既にホームページの作成も計画中らしいよ。


多分ここまで読む人々にも同じ質問をしたいと思ってるでしょ?

「この行先板は購入することは可能でしょうか?」

はい、もちろん!!!!!

詳しく明日ね。

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